MEUROCO DAYS  blog 200509





20050901 さて九月

どうも後向きなまま滑り込んでしまった九月。
このまま雪崩的に過ごすわけにはいかないので
毎日目標を立ててみようと思う。
そりゃあ同じ一日などないけれど何もしなければ
同じような毎日に違いない。頑張ろう。頑張ろう。

目下大きな目標はサイト公開。9日に間に合わせたい。
新しいことをはじめるわけでもないのにファイルが揃わない。
自分のできる範囲で自分が納得できるように今頑張ります。



20050902 サプリメントと健康食品

何気なくやずやの読本を読み返した。
これを読むと食べ物に気を遣いたくなる。
向こうとて商売だから、自分の利益を考えてそういう
パンフレットなり読み物なりを作っているとは思うけれど
それを差し引いても現実的に役に立つものだと思う。

どうもだるさが抜けないので雪待にんにく卵黄を飲み始めた。
少し前からやずやは知っていたし思い出したときに
香醋は飲んでいたけれど。
単なる栄養素を補うサプリメントではなくて
健康と栄養を考えた健康食品のほうが
わたしには合っているのかもしれないと思う。
何よりハードカプセルとソフトでも大きめのカプセルは
飲めないわたし。雪待はもともとソフトカプセルが小さいし
香醋は普通のと小さいのと二種類あるのがうれしい。
他に良いのが見当たらなければこれにしようかな。

あの読本を読むと他のものまで欲しくなってしまう。
説明がうますぎる。
市販のものに比べればいい値段だし
たぶん外れはないと思うから余計気になる。

回し者でもなんでもないので悪しからず。
気になる方はサイトから無料サンプル請求を。
電話セールスはないけれど尋ねればちゃんと
単なる通販の会社ではないような温かみのある回答が来るので
そのあたりもうれしいかもしれない。



20050903 何だかわからないけど

ちっとも目ウロコじゃないなぁ最近。

何だかわからないけどすごいとか何だかわからないけどいいとか
他人に伝えるのが難しいけれど心に引っ掛かることが多くて
たいていそれは感覚として身に残るけれど言葉にはならないから
何だかわからないままになっている。

できればそれを言葉にしたり形にしたり何か目に見えるものに
したいと常々思ってはいる。ただとても難しいけれど。

何がすごいか何がいいのか説明を求められる場合もあるけれど
いかに語彙が豊富で新しい表現ができるかではなくて
それがどれだけ自分にとってすごいのかいいのか自分の言葉で
表せたらいいなと思う。
物事の輪郭をぼんやりと示すのではなくて
核心をずばり言い当てるような鋭い視点を持ちたい。



20050904 この道を行く

迷いに迷った時を過ぎ
今は信じる道を行く

いろんな選択肢があって欲しいものがたくさんあるけれど
すべてを手に入れることはできない。
何かを選び取ることは何かを選び取らないこと。
意識的にも無意識的にも選んだときに何かを切り捨てている。
そうしなければいとも簡単に許容量を超えてしまう。
そうなれば生きてはいけないだろう。

あまりにも手を広げすぎたから、今度は縮めてみる。
ただそれだけのこと。
臨機応変に流れていくだけ。



20050905 過去と今とこれから

過去のファイルを見てしまった。
そこにいるのは紛れもないそのときの自分。
今となればただ恥ずかしいだけでそれを公開するのは
どうかと思うけれど今はそれしかないので仕方ない。
それ以降にもいくつか詩を書いたけれど纏めていないし
何より「書く」作法を忘れてしまったのでそれを
まず思い出さなくては。

過去の詩は自分がどんな気持ちでいたか良くも悪くも
教えてくれる日記のようなものかもしれない。
でもこれからはもう少し違った詩を書きたい。
それが何なのかわかったようなわからないような
曖昧な感覚が確かにあるのだけれどそれを本当に
実現させるのには今のわたしには何もかも足りなくて
勉強したいなといつも思っている。
ある意味日々勉強だけれどもっと即物的な勉強もしたい。
悔やまれるのはそれができたときにしておかなかったこと。
大事なことはいつも後から気がつくけれどそうは言っても。
すべてはこれから。



20050906 戯言でしかない

今回の総選挙の選挙公報には
キャッチフレーズのようなものはないのですね。
ちょっと残念に思ってしまったわたし。
まぁ都議選とじゃ規模が違いますしね。
国民審査を受ける裁判官の方々の
意気込みや信念を読んで納得。

ひさしぶりにPCから更新。
携帯メールで更新したのを携帯から見ると改行がおかしい。

夏はアイスコーヒーをよく飲んでいたけれど
秋が近づくと紅茶が恋しくなる。
新しいMugを買い、茶葉を買い、準備万端。

まずいなぁまた現実逃避。



20050907 サイト再構築にあたり

ここにいることを誰かに伝えたい思いが先にあって
そこにwebという手段がやってきて
今わたしは自分のサイトを作ろうとしている。
正確に言えば何度も公開しては消し再開しては
やめたくなりそのうち周りの状況が変化して
更新したくてもできなくなって仮に置いておいた
場所がなくなってしまいそのままずっとない状態が
続いていただけなのだけれど。

今回またサイトを立ち上げるけれど依然時間や
手段はないままで言い訳にもならないけれど
更新が難しいことには変わりない。
ブログだけでもいいのではと思う。
それでもサイトという形にこだわるのはわたしが
もともと詩を書く人で、それには今までのような
詩の公開方法がいちばんだと考えているから
かもしれない。ブログのアーカイブだとどうも
意図しているのと離れてしまいそうで。
自分の思惑がそのまま伝わることはないと
わかっていても、できる限りそのまま伝えたいと思う。

それにしても更新を続けていくのは大変。
わたしが落ちている間にたくさんの友人たちも落ちていた。
ネットだけの友人はサイトの掲示板かメールしか
連絡手段がないからそれらがなくなったら
たちまち音信不通だ。それが嫌で、仲良くなって
信用できる、信用してもらえる仲の人には
住所や名前を聞くけれど、それも縁だから
聞きそびれる人もいるし、聞いても離れていく人もいる。
実生活に於いてもそうだから何もネットに限った話では
ないけれど。

人の動きは止められないから、せめてわたしは
ここにいるよとネットのどこかでサイトを開くのかもしれない。
もしわたしのことを思い出したら名前を検索してみてください。
何か引っ掛かると思うので。



20050908 買い物の心構え

バスに乗る。買い物へ。
ありふれたショッピングモールだけれど
ひさしぶりだとさまざまな変化があり、おもしろい。

ネットで気軽に購入ボタンを押し、届いた物を見て
失敗したと思うことが少なからずあるから、
実物を見て買うかどうか決めるのは
当たり前だけどいいことだと思った。
まぁそれでも買い物に出て今買わなきゃと
焦って買うこともあるから結局は自分の選択眼と
いうことになるけれど。

直観的に買わなきゃと思うものもあるし
それはだいたい失敗したと思うことはないからいいけれど、
いつもは買いたいと思うから買うだけで
そういうのはよかったり悪かったり当たり外れが大きい。

シンプルな生活を願っていながら物欲は収まることなく
矛盾してるなと思いつつまた買い物をする。
新製品や限定品に弱いし、持っているだけで満足してしまう。
そういうものはたいてい要らないものなんだよな。
最低限必要なものの範囲が広すぎる気がしてきた。
今買わなきゃいけないものって実はそんなにない。
欲しいものではなく、必要なものを買う。ということを忘れていた。



20050909 いよいよ公開の運びとなり

何とか間に合わせました。
目新しいものはありませんがお時間かありますときに是非。
更新としては詩と言葉と文章を頑張りたいですが
追い詰められると逃げたくなるので
ほどほどにやっていけたらなと思います。
それにしても何もないけど。
掲示板のデザインももっと凝ったものにしたかったけど
これで精一杯。ソースは覗かないでくださいね。
なぜ今日に間に合わせたかったかと言うと、
6年前の今日9月9日に個人サイトを立ち上げたからです。
その前から某サイトは作っていましたが、
他に作りたくなって別にしたのでした。
最初はCoolに置いていました。
その後いろんな無料サーバを文字通り転々とし、
サイト名も幾度となく変え、数えきれないほど
閉鎖と再開を繰り返し、しばらくの沈黙の後、
ついにまた現れたというわけです。
サーバはsusonoさん、こちらも紆余曲折ありましたが
今は安定してサービスを提供してくださっています。
お世話になります。
サイト名はsynchrotranceに戻しました。
今はこれが落ち着くようです。
また気が変わったときには変えるかもしれませんが、
それはまたそのときに。
問題はこれから。
笑い事じゃなく以前の友人の大半が消えてしまったので
どうにか捜し出さなくてはいけないし、
ブックマークしていたサイトもたくさん消えているし、
状況の大きな変化を見て見ぬ振りをしてきたツケが
今回ってきたということでしょうか。

何はともあれ、よかったらお越しください。
synchrotrance lalala on the web.



20050910 強い意志と決意

臨機応変は好きな言葉だけれど意味を履き違えて
都合のいいように解釈してしまっていた。
どうしても物欲に勝てない自分。
買い物依存症に近くなってきたかもしれない。
もっと他のことに目を向けるべきなのはわかっているけれど
そうできない。強い意志が必要。
そしてそれはきっかけを待たずしてたった今から持つべきもの。
必要かそうでないかではなくその先のことを考えてみようと思う。
困ってみる。もとい自分を困らせてみる。
なくなったらなくなったときに考えよう。
すべてに予備が必要なんてことはない。
飽きっぽいわたしならなおさら。
何でもかんでも必要ということにして簡単に買いすぎ。
しばらく買い物を控える。できるかぎり買わない決意。



20050911 意識改革

毎回投票用紙を受け取り記入台の不安定さと戦いながら
その場で書くことを考えるんですが。
あんまり長い時間かかると変ですね。
焦って字を間違えそうになったり。
椅子が欲しいところです。

今まで27年ばかり生きてきたので
それなりに知恵と感覚はある。
どちらかといえば合理的にやりたいタイプなので
なるべく無駄のないように少し考えて
行動の順序を決めてから始める。
こうと決めるには決めるなりの根拠を探すから
その正当性を疑うことはあまりない。
その分他の可能性については考えないようにしていた。
過去の自分が正しいのだと。
でも合理性だけで判断するべきかどうか、
実はそんなことはまったく意味がなくて、
どんな手段でも似たような結果に
辿り着くのではないかと思いはじめた。
今までの経験から、なるべく失敗しないように、
うまくやることを考えるけれど、
そんなに失敗するのが怖いのか。
それほど他人は自分を見ていないし、
見ていたとしてもきっと笑って
やり過ごしてしまうだろう。
大人になるってことは、何でもうまくできるように
なるんじゃなくて、何でもうまく誤魔化せるようになるだけだから。



20050912 気持ちの歯止め

気持ちの歯止めがきかない。
後で困るのは自分だとわかっているのにずるずると。
さっきも危うく流れてしまいそうになった。
時間が経てばちゃんと思い直すことができるのに。
急ぎすぎるんだな。



20050913 好みのものの色

電車に乗って買い物へ。先日とは違うショッピングモール。
こっちのほうがたくさん見るところがあって好き。
見たいものを見る。安いキッチンクロスをまとめ買い。
好みのものが安いとうれしい。

以前は訳あってピンク一辺倒なものを買い漁っていたけれど
訳あってピンク好きではなくなり最近はまた青が好きになってきた。
小学生の頃は青が好きだったから戻ってきたのか。
たくさん色があったらまず青系のものを選ぶようになった。
何でもかんでも青というわけではないけれど。
髪をまとめるヘアゴムもビーズの色は青と黒の2つを買ったし。

こんな日に青いものを買うとはね。
一生忘れることはないだろうあの人の誕生日。おめでとう。



20050914 季節に託けて

秋は新作チョコレートがたくさん出てくる季節。
新しもの好きだからとりあえず買ってしまうけれど
今年は控えめにしよう。

秋は情緒不安定になりやすい季節。
毎年わかっているのに何となくだるくなり
悲しくなり落ち着かない。
今年は切り抜ける対策を何かしてみよう。

秋は誕生日がある季節。
春と同じく短くて気付けば冬になっていたということもある。
今年は形になるものを残してみたい。
考えるのは楽しい。
これもきっかけを待ってしまっているのかなぁ。
秋に託けて何かしようという。

動きだす一歩、背中を押す手が欲しい。
言葉にすることがそれになるなら。



20050915 在るもので賄う

用途が細分化され、すべてに専用の商品が用意されている。
確かにそれらは便利だから、あるにこしたことはない。
でも全部揃えていたら、それだけで家がいっぱいになる。

新しく便利な商品が発売される。
とても便利そうだから欲しくなる。買う。
それが本当に便利に機能を果たしているのかは疑問。
買うということだけで満足していないか。

今のわたしにはそんな便利より在るもので賄うことのほうに惹かれる。
専門的に突き詰めていくより広い視野で見つめていたいような感じ。
ナナムイびとをようやく手に入れて影響されたかも。



20050916 メールか手紙か

サイト再開から一週間。
掲示板に不具合あり、更新は何もできず、ただ宣伝して回る。
何もないのにそうしているのも変だけど。
少しでも見てくれている人がいるかもしれないと思うことが
今とこれからのやる気につながる。

お知らせを広めるにあたってメールをするか手紙を書くかで迷った。
手紙を書くのが好きだから全部そうしたいところだけれど
住所や名前を知らない人もいる。
同じ内容を言葉を変えて書くのも難しい。
メールは気軽でいいけれど宛先不明になりがち。
サイトを持っている人なら掲示板に書き込むのも手だけれど
うまく書かないと単なる宣伝で他の人には迷惑かもしれない。
あぁどうしよう。

結局手紙は一部コピーで一部手書きという折衷案で。
メールはこれからゆっくり書こうかなと。
掲示板には押し付けがましくない程度に書き込みに行きたいと思い。
何でこんなに気弱なのかよくわからないけれど、こんな気持ちでいます。
それが終わったらもっともっと好きにやろう。



20050917 詩が書けない理由

昔の詩を読むと止まらなくなる。
面白いからではない。
それを書いたときの自分の気持ちを思い出してしまうからだ。
それほど以前は詩と自分が近かった。
だから詩を人に読んでもらうのが怖かった。
自分の気持ちを表現するのに詩という手段を使っていただけだった。
世間一般の詩と自分の詩が違うのはその点においてだろう。

よく言えば素直な、悪く言えば言いたい放題の詩。
単なる言葉の羅列。
わたしが今言いたいことって何だろう。
それが見つからないから詩が書けないのかもしれない。
書きたい気持ちだけが空回りする。
足りないものを探している。



20050918 人類の行き着く先

昨今のエコとか自然派とかナチュラル指向とか。
スローライフに還るのはいいかもしれない。
というかそうでなければ人類は滅びる気がする。
諸般のめざましい進歩の陰で大事なものを失った、とは言わない。
こういう道を辿るのは必然だったと思う。
そしてこれから進む道もまた必然か。
いずれにせよ人は自然に還る。
それに早く気づくか気づかないかだ。
何世代もかけて進化しつづけたのだから、これからまた
何世代もかけて還るのだろう。
今はまだ見えないことのほうが多いのかもしれない。
ただほんの少し見えている人は確実にいて
それを異端視する人のほうが多く、生きづらい。
その流れを絶やさずに大きなものにしていくことが
今を生きる人の使命なのかもしれない。



20050919 すべては縁

近いや遠いの感覚はまさしく気分的なもの。
どんなに離れていても一瞬でつながることができる。
それはわたしがあなたを忘れないからだ。
いつも一緒にいなければ不安に思うこともあった。
今はそうでなくても大丈夫だと思える。
それで駄目になったとしたらそういう縁だったのだろう。
どんなに願っても再び会うことはない人もいる。
それもわたしとその人の縁なのだ。
諦めても諦めなくてもそれが事実で縁だから
わたしはそのつながりを大事に思うことしかできない。



20050920 命を食べること

本屋に行く。
クウネルナナムイびとの発売日。
つられて週刊 土井善晴のわが家で和食も買う。

からだによいもの・わるいものについて考える。
本や雑誌で仕入れた知識が基本になってしまうけれど
結局は自分がどう思うかだ。
食べたいから食べる。食べたくないから食べない。
それもありだと思う。
食べ物は、命につながる。
命をもらい、命になる。
それさえ忘れなければ何も粗末にすることはないだろう。

何となく誰に言われるでもなく茶碗にご飯粒を残せない。
もっと料理ができるようになりたいなぁ。



20050921 ため息の嵐

雑誌をぱらぱらとめくってはため息。
じっくり読んではまたため息。
素敵な理想が広がる小空間。
そしてまたまたため息。

現実はほんの少ししか動かないけど離れているわけではないから
その少しを大事に、前向きに。

理想が現実と重なるようにするためには
そうありたいと願うだけではなくて
それ相応の努力が必要で
またその願いが強ければ強いほど
努力するという意識もなく努力するだろうし
何もしなければ状況は変わらない。
願うことはひとつの端緒なだけで
やはり重要なのはその後の過程だ。

今のわたしは最大限努力できているだろうか。
努力しているだろうか。
何かと理由をつけて回避してはいないだろうか。
それができていないから、ため息の嵐なのかも。



20050922 ひとつにつながる

単なる思いつき、ばらばらの事柄、ちょっとした考え、
こうしようという意志、こうしたいという意欲、すべてが
ひとつの結果に向かって収束しているのを知る。
どんな回り道をしたとしてもそこに辿り着く。
これまでしてきたことも今していることも
これからすることだってそれにつながる。

何だろうこの感覚。
悟ってしまったかのようだ。
わからないことだらけなのにそれだけははっきりとわかってしまった。
変えることも抗うこともできない。
そのためだけに生きるのか。それは違う。
でも似たような意味を持ってただ長らえるなら
知ってしまったからこその生き方を模索するべきだ。
これから。これからどうする。



20050923 なんかもう駄目だ

前からあやしいような気がしていたけれど
本格的に駄目なことがわかってしまった。
許すとか許さないの問題ではない。
駄目なものは駄目だ。
こうなったらもう打つ手はひとつ。
すっぱり離れることだ。
大きな組織では末端まで管理しきれないのだろう。
しかしわたしが接するのはその末端だ。
信用はお金では買えない。そして信用するには時間も必要だ。
じっくり見極めたうえでこの結果があって
辿り着いた答えが駄目だったなんて思いたくもないけれど。
がっかりです。がっかりさせられっぱなし。

すべてが駄目とは思わないけど
決定的に駄目だとわかったときの失望感といったら。



20050924 理想は高く

ひさしぶりに詩の清書。
まとめて書き続けると手が痛い。
ただ文字を連ねていく単調な作業。
それが結構好きだったりする。

ようやく全部書き写し終わったので
これから新しいものが書けそう。
以前のものはあまりにも直接的なので自分でも恥ずかしい。
人に読んでもらうことを意識して、意味ある言葉を綴りたい。

いつでも理想は高いけれど現実は見てのとおり。
高い理想を目指すからこそ現実が高揚するわけで。
また少しずつ書きたいと思う気持ちが湧いてきました。



20050925 連休の連続

ホンダのMOBILIOのCMの曲が気になるのですが
オリジナル・アレンジだそうで。
元曲は調べれば出てくるのかな。
知っている人教えてください。

連休が連続する秋。
あぁ。やることはたくさんあるのに空回り。



20050926 欲しいものたくさん

御殿場プレミアムアウトレットに行く。
ひとつ目的があり、何とかこなす。
自分のために買ったのはFranc francのキッチンクロス。
どこかへ行くというのは気力も体力も要るけれど
その分得るものもある、かな。

自分なら欲しいものはたくさんあるけれど
あの人にあげるプレゼントというのが難しい。
まして何でも持っていそうな人だから。
今回は何とか乗り切ったけど。次回どうする。

そう、欲しいものたくさんありすぎ。
きっとお金がいくらあっても足りない。



20050927 散々な遠回り

わかっているのに
知っているのに
遠回りする
まっすぐ進めばいいのに
そのまま行けばいいのに

また少し遠回り。
迷う暇はないのに。
これから改めて先を急ぐ。



20050928 許せるか許せないか

たとえそれが人間的に許せない行為だとしても
あの人を許してしまうのはあの人が好きだからだ。
同じ行為を他の人がしたことがあったけれど
それはいまだに許せない。
何が違うかと言えば、単純な好き嫌いだった。
その行為自体は断じて許されるものではないけれど。
他の事象にもおいても許せる許せないが分かれるのは
やはり好き嫌いなのか。
心を広くするにはその人の価値観も関係するのかもしれない。



20050929 サービスの選択

某無料サービスの不具合を報告したらすみやかに対応してくれたらしく
もう直っていた。そして直した旨の連絡メールも来ていた。
こういうところはさすがだなと思う。安心する。
件の駄目なところはやはり駄目で、それも2回目ではなく3回目で
最初に駄目だと思ったところはいまだに直っていないので
本当に駄目なんだな。完璧におしまい。

無料だからどうとか有料だからどうとか考えてしまうけれど
どちらにしてもちゃんとしていてほしい。
自分が望むことにどれだけ対応してくれるか。
いい意味でも悪い意味でもこれしかないという場合はあまりないと思う。
駄目ならやめるか他を選べばいい。
新規顧客の開拓も大事だけど既存顧客離れも怖いと思うけれど。

件のほうはやめるきっかけを探していたのかもしれない。
見合った対価が得られていないような自分が使いこなせていないような
まだ時期尚早だったのか理由がいくらでも見つかりそうで。
その理由がなくてもいずれやめることになっていたような気もするけど。



20050930 見えないつながり

尋ね先が見当たらない手紙が舞い戻ることほど
悲しいことはない。
先日もそんな印を押された封筒が戻ってきた。
毎日顔を合わせることは難しい。
それでも時々は思い出してほしい。
引っ越すときに連絡が欲しい。
たったそれだけを願う。
たったそれだけが叶わない。
思い出してもらえないわたしがわたしだけれど。

どんなに離れていても一瞬でつながることができるのは
そういう場面に出くわしたときのひとことだ。
一生懸命つながっていようとしても離れてしまうことが多いから
なおさらわたしは言葉を発してつながりを欲する。
目に見えないからこそ確かめたいんだ。